第12話:でじかめのレンズ
 近年フィルムカメラに取って代わりアマチュア用スチルカメラの市場を席巻したのがデジタルカメラです。
 銀塩感光材料を使用しない電子写真は1930年代より基礎研究が進められており、ヴィデオムービーの技術をスチル写真に応用しようという研究は古くから行われていました。しかしムービー用の撮像管は大きさや重さはもちろんの事、長時間同じ画像を撮影し続けたり太陽のような強い光を露光するとその部分の感度が極端に低下して黒いシミが残ってしまうという「焼きつき」現象や動きの早い被写体では撮像管の光依存性による残像が残ってしまうという静止画像には致命的な欠陥があったため人工衛星や惑星探査機など宇宙開発の特殊な分野でしか実用にはなりませんでした。
(それも高感度のビジコン管が実用化されてからの事で1959年に史上初の月の裏側写真を撮影した旧ソビエトの探査機「ルーニク3号」は当時、高感度の撮像管がソ連に無かったので銀塩フィルム{しかもコダック製}で撮影し衛星内の自動現像装置で現像プリントした画像を写真電送機で読み取ってデジタル化し地球に送信していたそうです。)
 デジタルカメラは固体撮像素子(CCD)が実用化された1980年代にソニーを始め複数のカメラ&家電メーカーにより「スチルビデオカメラ」の名称で試作機が相次いで発表されました。当時はアナログ記録で、映像もテレビのNTSC規格なので画素数も30万画素程度でとても鑑賞に堪える画質ではありませんでしたが、記録方式がデジタル圧縮形式(JPEG,、GIF等)になり、画像再生装置がテレビからコンピュータに取って代わるとコンピュータへの画像入力デバイスとして高く評価されるようになり、21世紀に入ると集積回路の集積度や基盤の高密度実装技術の成果によりデジタルカメラの高画質化、小型化、低価格化が急激に進行し、おりからのパソコンの普及と全地球的なインターネット通信とのカップリングにより、ついにはフィルムカメラのシェアを追い越すまでに至りました。
 そのデジカメのレンズにはフィルムカメラとは違う設計の特徴があります。今回はフィルムカメラ用レンズと対比しながらデジカメ用レンズ独自の設計上の特徴を解説していきます。

                数段厳しい被写界深度と最小錯乱円
 コンパクトカメラタイプのデジタルカメラに使用される撮像素子の面積が極めて小さいことはよく知られています。現在主流の1/1.8型および1/2.7型センサーで対角線長が8.8と6.6m(名称に比べて実画面が小さいのは対角線長ではなく撮像管時代のサイズ規格を受け継いでるからです。くわしくはコチラ。撮像管から固体撮像素子までの歴史についてはコチラを参照。皆様NHKの受信料払ってますか?)。これは35ミリフィルムはもちろん最小のフィルムサイズであるミノックス判の8X11mmよりも小さいのです(写真1)。したがって撮影レンズの焦点距離はフィルムカメラと比べて非常に短くなり、またこの極小の画面サイズでフィルムと同等の画質を得ようと画素数を増やしていくとセンサーの画素アレイが大変細かくなります。

写真1)一眼レフ用22.7x15.1CMOSモジュールと
コンパクトカメラ用1/1.8インチモジュールの比較
提供:キヤノン

 このことは撮影レンズの被写体側の被写界震度が極めて深くなることと反比例して撮像素子側の被写界深度が極めて浅くなり、撮影レンズの像平面性とフランジ面の保持、ピント精度に数段高い精度が要求される事を意味します。

(表1)フィルムカメラ換算38ミリf2.8相当のレンズとした場合の画面サイズと深度の関係
センサー 画素数 画素ピッチ 画面対角線長 最小錯乱円 過焦点距離 焦点深度
135判 43.27mm 35μ 14.7m 98μ
1/1.8型 3M 3.45μ 8.8mm 6.9〜8.3μ 3.1〜2.6m 19〜23μ
1/2.7型 2M 3.275μ 6.6mm 6.6〜7.9μ 1.8〜1.5m 18〜22μ
 実際に35ミリ判で38ミリf2.8を装着したフィルムカメラと同じ構図、画角で1/2.7型2メガピクセル機で撮影する場合焦点距離は5.8mm。どちらもf2.8開放で撮影した場合35ミリ判の過焦点距離は14.7mなのに比べてデジカメは1.5〜1.8mにもなります。つまり1.8メートルにピントを合わせるとほとんど90cmから無限大までピントが合うことになります。ここがコンパクトタイプのデジカメは背景がボケにくいと言われる所以です。
 われわれ撮影者側からいうとデジカメはレンズの焦点深度が深いのでピント合わせが楽で気軽にファインダーから目を離して撮影できるということになりますが、製作者であるメーカー側に言わせるとフィルムカメラよりも数段レンズの組み立て工程やフォーカス調整に高い精度が要求されることにもなります(表1)。
                        回折の影響
 近年はコンパクトタイプのデジカメも3メガピクセル4メガピクセルが常識となり、この画素数増加の傾向は今後も進むものと思われます。言い換えると画面サイズの大きいフィルムに比べて許容される最小錯乱円(ピントが本当は合っていないのだが焦点深度と呼ばれる許容範囲に入っているという数値)の数値がより微細になるということです。突き詰めるとデジタルカメラはフィルムカメラよりも高い解像力(resolving power)が要求されるということです。
 しかし、意外にもこのコンテンツで常に述べてきた撮影レンズの敵「収差」の問題はコンパクトデジカメの分野ではそれほど深刻な影響を及ぼしません。それはレンズを相似形のままサイズだけ縮小すると焦点距離に正比例して収差も減少するためです。
 ただ、ザイデルの5収差の中で唯一、いくら絞り込んでも、レンズ構成を相似形でいくら小さくしてもまったく改善のない収差である「歪曲収差」(ディストーション)はコンパクトタイプのデジカメでは最大10%にも達するものが多く見られます。一眼レフのズームレンズではディストーションが3%もあれば「こんなひどいズームレンズが使えるか!」と雑誌上で叩かれたものですが、最近のユーザーはピントさえ良ければ窓や額縁がタル型に歪んでもさして気にしないのでしょうか?。熾烈な小型化競争の中でレンズ設計にしわ寄せが来ていることが最近のコンパクトデジカメを見るとよくわかります。
 また、ナイキスト周波数(画素ピッチの2倍の逆数)よりも細かい繰り返しパターンの被写体を撮影した場合に被写体のパターンと画素の配列とのモアレが生じる「偽色」への対策としてSiO2等の複屈折材を組み合わせたローパスフィルターが光学的に高周波成分をカットするために必要以上の高解像度は原理的に不要といえます。
 それよりも我々ユーザーの側からもわかる結像性能への影響が大きいのは絞りすぎによる回折です(表2)。
表2)円形絞りの理想レンズ(無収差レンズ)におけるF値とコントラスト再現率(MTF)

 光は電磁波の一種で波動です。したがってまったく無収差のレンズであっても光の波動の分絞りの裏側にまで回りこむ光が結像を低下させます。回折の量はどのような光学系を用いても常に一定です。しかし、レンズの瞳口径が小さければ小さいほど相対的に回折の影響が強く出ます。
 35ミリ一眼レフ用写真レンズがどこのメーカーも押しなべて最小F値が22〜32程度に止めているのはこれ以上絞ると回折の影響が強く出るためです。古くはミノックスがこの回折を嫌って常に絞り開放のf3.5で撮影し、露出は1/1000秒という高速シャッターやNDフィルターで対応した有名な例があります。
 この項の連載にあたり熱心な読者より「デジカメはフィルムを使うわけでもなのになぜ感度の自動設定と手動設定があるのか?」という質問が寄せられたことがありましたが、まさしくこれが「デジカメは回折のため絞りをあまり絞れない」事への対策なのです(図1)。
図1)回折の例。絞りF2の場合 回折の例。絞りF22の場合

 このため一般のコンパクトデジカメはほとんど日中でも絞りは開放近く、絞ってもF8程度までで明るすぎる対策として1万分の一秒を超える超高速シャッターやNDフィルターの自動挿入、そして前述の感度自動設定が用いられるのです。
          デジカメの申し子「テレセントリック特性」
 デジカメ用レンズの特徴として軸外光束が結像面に平行に入射するいわゆる「テレセントリック」特性が要求されることがあります(図2)。
図2)像側テレセントリックの模式的説明
(TCLモジュール/ハネウェル/1980年)

 フィルムの場合銀塩粒子が立体である構造上斜めから入射する軸外光束でも十分な感光特性を有しているためほとんど意識されることはありませんでしたが、デジタルカメラの場合撮影レンズの像側にはローパスフィルターやセルの一つ一つに組み込まれたマイクロレンズが存在するためにズーミングやフォーカシングにより光線の入射角度があまりに偏っている場合、ローパスフィルターが正常に働かずに画面濃度の不均一やセンサーでのケラレが生じます。つまりフィルムに比べ周辺光量の著しい低下につながります。
 したがってデジタルカメラ用撮影レンズ、特にズームレンズの設計にあたってはズーミングしても射出瞳の位置が大きく変動しないような配慮が必要でフィルムカメラ用レンズに比べ大きな制約を受けることになります。
図3)キヤノンIXYとキヤノンパワーショットA5ズームの絞り中心光線の比較

 図3はフィルムカメラ(APS判)のキヤノンIXYとデジタルカメラのキヤノンパワーショットA5ズームの比較です。フィルムカメラのズームレンズは広角と望遠では周辺部の軸外光束の入射角度が大きく変化するのに比べてデジカメの場合は広角から望遠にかけて入射角度の変化が少なくいずれも中心光軸と平行に近い角度を維持(像面テレセントリック)しています。
 このような条件を満たすために図からもわかるように通常このクラスのフィルムコンパクトカメラは前が凸、後ろが凹のテレフォト構成であるのに比べデジカメはバックフォーカスの制約がないにもかかわらず一眼レフ用ズームのような前が凹、後ろが凸のレトロフォーカス構成をとっておりデジカメ用撮影レンズの小型化を阻害する要因となっています(写真2)。
写真2)フィルムカメラのコンタックスT2とデジカメのキヤノンIXYデジタル
画像面積の割には撮影レンズはそれほど小型化していない。

 一眼レフタイプのデジタルカメラはフィルムカメラと同一のレンズマウントを採用するのがひとつの売りとなっていますがテレセントリック性の観点から言うとフィルム用に設計されたレンズをそのままデジタル一眼レフに用いることはローパス効果の不均一や周辺光量の点で疑問が残るとされております。
 現在の所各社のデジタル一眼レフは35ミリ判の画面サイズぎりぎりまで使うことを避け撮影画面の6割程度に抑えた機種が多いのは単に撮像素子の製造コストだけの問題ではなさそうです。オリンパスE1が35ミリ判一眼レフとのマウント互換性を切り捨てデジタル専用の4/3(フォーサーズ)システムを採用したのもテレセントリック特性を優先したためと説明されています。
 2006年に発売されたレンジファインダーデジタルカメラのライカM8は18X27ミリというAPS-C判より大画面のCCDセンサーを採用していますが、一眼レフ用レンズに比べてフランジバックが短いレンジファインダーカメラ用レンズではどうしても画面周辺の入射角度が傾いてしまいテレセントリック性を維持する事が困難なため撮像素子の周辺部ほどオンチップマイクロレンズが中心側へオフセットされ、斜めから入射する軸外光束をピックアップしやすい設計となっています。
 この設計では逆に像側テレセントリック性が高い超望遠レンズ(ビゾフレックス用のテリート400ミリF5など)では周辺光量の不足をきたす可能性がありますが、すでにビゾフレックスシステムは生産されていないため現行レンズの21ミリから135ミリまでの入射角度をカバーできれば良いと判断したと考えられます。
 ある意味短焦点レンズの装着に特化したレンジファインダーカメラだけに可能な設計と言えます(図4)
図4)ライカM8(2006年)にズミルックス50ミリF1.4
を装着した場合の絞り中心光線の比較。
周辺部へ行くほどマイクロレンズが中心側へオフ
セットされている事がわかります。


 デジタルカメラ用レンズは上述のフィルムカメラにはない特性が要求されますが、レンズ構成の原理に関してはフィルムカメラの定石がそのままあてはまります。一般に超小型デジカメの2−3倍程度のショートズームには2群ズーム、ズーム比10倍に達する高倍率ズームデジカメにはビデオズームを応用した4群ズーム、4−5倍程度のズーム倍率の機種には3群ズーム発展型の多群移動ズームが採用されています。


資料:光学系の仕組みと応用(オプトロニクス社/2003年)
    図解 レンズがわかる本(永田信一著/日本実業出版社/2002年)
    現代のカメラとレンズ技術(小倉磐夫著/写真工業出版社/1982年)
    月刊カメラマン2004年5月号
    日本カメラ2006年10月号
                                          2004/05/02up
                                          2006/11/23更新
                             
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