第9話:3群ズーム
〜高倍率に適したトリオカム〜
今日、広角域から望遠までを内包する高倍率全域ズームや、比較的小口径の高倍率望遠ズームに多用されるズーム構成が「3群ズーム」とその発展型です。広角から望遠までを1本のズームレンズでまかなうには本来まったく逆のレトロフォーカスとテレフォトを両立しなければならないという物理的矛盾をかかえているのですが、第1群と第3群に正成分を、中心の第2群に負成分をサンドイッチ状に配し、負の第2成分はあまり移動せず、前後の正成分がほぼ連動して前後にピストン運動することでこの矛盾を解決しています(図1/図2)。
図1)3群ズームの原理 図2)3群ズームの実際例
シグマズームオメガII40−300ミリF4.5−6.5
(シグマ/1983年試作)
光学系を縮めると正の第1群(これをフォーカス系と呼びます)が負の第2群(前群バリエーターとかエレクターと呼びます)のマイナスパワーに相殺され、全体的に凹ー凸のレトロフォーカス広角レンズに、光学系を伸ばすと正の第3群(結像系兼後群バリエーター)が負の第2成分に相殺され、全体的に凸ー凹のテレフォト望遠レンズになります。
3つの成分がカムに乗って移動しながらズーミングを行うためシグマでは3群ズームをトリオカム方式と呼んでいます。
歴史上ではベルハウエルのクック・バーロー40−120ミリf3.5〜8(1932年)のように逆に中心の第2群が正で前後の第1第3成分が負という構成もありましたが今日ではほぼ消滅しています(図3/4)。
バリエーターは正成分よりも負成分にしたほうが数倍のパワー配分が可能で変倍効率が高いからです。
図3)初期の映画用3群ズーム
クック・バーロー40−120ミリ
F3.5−8(ベルハウエル/1932年)図4)単焦点レンズの前に装着する
3群ズームコンバーター
トランスフォカトール(アストロ/1934年)
3群ズームの歴史もこれまた古く、1880年ごろオランダの眼科医F.C.ドンダースが凹レンズと凸レンズを組み合わせたフロントコンバージョンレンズを考案しました(図5)。これを単焦点レンズの前に装着するとズームレンズとなるもので現代のヴィデオカメラ用ズームコンバーターのはしりと言えます。
1931年にブッシュ社のヘルムート・ナウマンがドンダースの特許をそのまま具現化した有名なバリオ・グラオカーを設計します(図6)これはジーメンスの16ミリムービー(当然フィルム)に装着されました。おそらく3群ズームの実用第1号でしょう。ズームレンズの実用化が戦前にすでに実現していたことに驚かれる方もおられるでしょうが、撮影中にレンズ交換ができないムービーカメラではズームレンズが渇望されたのです。また、撮影中にズームイン・ズームアウトをするズームショットという撮影技法のためにもズームレンズは必需品でした。映画産業が初期のズームレンズを育ててきたのです。
図5)ドンダースの望遠鏡2種 図6)バリオグラオカー25−80ミリF2.8
(ブッシュ/1931年)
スチールカメラ用の3群ズームは前後の正負のパワー配分がほぼ対称にあるため設計が容易で一眼レフカメラの普及とともに採用されるようになりました。
ニコンが1963年に発売した「オートニッコール43−86ミリF3.5」(図7)はスチルカメラ用3群ズームのさきがけでした。コンパクトで低価格であり、広角域が物足りないとは言え標準粋の50ミリを中心に常焦点域を内包した標準ズームとして他社に競合する製品も無かったためよく売れていましたが、結像性能には少々無理があったようです。
この「ヨンサンハチロク」は機械補正と光学補正の両方を組み合わせた設計で、当時複雑なカム切削を大量生産で行うことが難しかったため負の第2群は完全に固定、第1群のフォーカス系は直線運動で、第3群のみをゆるく曲線運動する機械補正にしています。設計の段階で焦点移動が少ないよう第1群と第3群のパワー配列をほぼ均一にとった光学補正をとり、わずかに残った焦点移動を機械補正で除去するというものでした。
前項の「2群ズーム」が実用化され広角域35ミリが実現するとすぐに3群ズームも広角35ミリ域を達成します。
トプコンが1978年のフォトキナに発表したトプコール35−105ミリF3.5−4.4(図8)はまさしく3群ズームのまま広角35ミリを達成したズームレンズで、技術的には新しくなっても根本的な原理は温故知新で何も変わっていないことがわかります。
1980年発売のトキナー35−105ミリF3.5−4.3(図9)は4群ズームになり複雑になった印象を与えますが何のことはない、第1群と第4群は連結して直線運動しており、第2群は移動せず固定。3成分の光学補正式ズームに第3群の機械補正成分(コンペンセーター)を追加したと考えるとわかりやすいでしょう。
図7)オートニッコール43−86ミリF3.5
(ニコン/1963年)図8)トプコン35−105ミリF3.5−4.4
(トプコン/1978年)図9)トキナー35−105ミリF3.5−4.3
(トキナー/1980年)
やがて広角域を28ミリ、望遠域を135ミリから200ミリ、さらには300ミリに広げるズーム倍率競争が熾烈化すると以後の高倍率ズームは第3成分をさらに2群や3群に分割した多群ズームの時代となります。トキナーはそのさきがけと作ったと言えます。
周辺光量のジレンマ
3群ズームが広角域を広げると問題になるのが周辺光量の著しい低下です。前群が負成分の2群ズームの場合は開口効率の高いレトロフォーカスが基本なので周辺光量の問題は少ないのですが、前群が正成分の場合はコサイン4乗則による口径食(ビグネッティング)のため広角時の周辺光量が低下するのです。
第1群のフォーカス系を従来通り前群繰り出しでフォーカシングを行うと近距離では周辺光量が急激に不足し、最悪の場合イメージサークルが不足してケラれの原因になります。初期の28−200ミリズームが最短撮影距離が2m以上もあったのはこの周辺のケラれのためでした。(詳細はタムロンのwebサイトでも記載があります。)
前群繰り出しのまま周辺光量を確保するには前玉径を大きくしなければならず、そうなるとフォーカス系全体が肉厚になるために第2群の存在解(レンズがあるべき場所)を圧迫しレンズの全長を伸ばさなければなりません。しかし、レンズの全長が伸びると周辺光量がさらに不足し、前玉径をなお一層大きくしなければならず、そうなるとひたすらレンズの全長と口径が大きくなる悪循環になりいつまでたってもズームレンズが完成しません。
特殊フォーカシング方式の採用でこの問題点に解決を与えたのがコニカヘキサノン28−135ミリF4−4.5(図10)とミノルタAF28−135ミリF4−4.5(図11)です。
図10)ヘキサノン28−135ミリF4−4.5
(コニカ/1983年)図11)ミノルタAF28−135ミリF4−4.5
(ミノルタ/1985年)図12)シグマAF28−200ミリ
F3.5−5.6
(シグマ/1999年)
詳しく解説すると紙面(?)が不足するので簡潔に済ませますが、第1群だけを繰り出すと周辺光量が不足するのなら後群のバリエーターを動かしてフォーカシングして解決しようという考えです。図10のヘキサノンは第1群だけでなく第2群をもフォーカシング繰り出しに荷担させて周辺光量を稼ぐというもので、一方のミノルタはさらにその考えを飛躍させ、フォーカシングに第1群を一切使わず第3〜5群のバリエーター群を移動するリアフォーカスを採用することで周辺光量を保ています。
1999年のシグマ28−200ミリF3.5−5.6に至っては負の第2成分のみを駆動する完全なるインターナルフォーカスを採用しています。厳密に言えばバリエーターのみで焦点調節するとズーミングによって焦点移動が若干発生するのですが、そこはカメラ側のオートフォーカス機能に依存する「電子補正」(Electronic Compensation)でカバーしているようです。
バリエーターだけでフォーカシングを行うと焦点距離が変わってしまうのでは?と心配される方もおられるでしょうが、実はその通りです。前群繰出式のズームレンズや全体繰出式の単焦点レンズの場合、近距離になればなるほど画角が狭くなりますが、変倍系である負の第2群をフォーカシングに使うインターナルフォーカスのズームレンズの場合は被写体側に繰出すと焦点距離がワイド側にシフトするため逆に近距離になればなるほど画角が広くなるのです。これは原理的な問題であり、故障や欠陥ではないので知識として覚えておいた方が良いでしょう。
電子補正が使えなかったMF時代のヘキサノン28−135ミリは純メカニカルのみで焦点補正していたためバリエーターの移動曲線が極めて複雑で、それが製造コストを圧迫していましたが、電子補正が使える今日のAFズームではそこまで厳密に機械補正を正確に行う必要はなくなっています。
資料)写真レンズの基礎と発展(小倉敏布著/朝日ソノラマ/1995年)
写真レンズの歴史(ルドルフ・キングズレーク著/朝日ソノラマ/1999年)
写真レンズの科学(吉田正太郎著/地人書館/1997年)
カメラレビュー1980年No11、1981年7月号、1984年1月号
毎日ムック2000カメラ買い物情報(毎日新聞社)
2004/02/23up
2005/01/08補足
2009/12/08補足
2016/01/12補足
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