キヤノンL2





 1954年のライカM3の発売に驚愕したキヤノンは、ご丁寧にも「ライカM3の対抗機種はこれから研究する。まだ当面は従来機種の改良を続ける」と律儀にコメントを出し、公約通り、1955年に旧来のノブ式巻上げボディの集大成IVSb改を発売する事でバルナックライカ型からの脱却をはかります。
 ライカの構造から脱却したキヤノン独自のデザインと機能を目指して、新たな思想で設計されたのが1956年8月発売のキヤノンVT型でした。
 日本独自の「和風」デザインを追及し、直線基調のフラットなボディデザイン。ボディの黒帯部分に漆塗装を用いるなど手の込んだ意匠となっています。収納レバーを引いたらぴょこっと飛び出す「びっくり箱」巻き戻しノブが超可愛いです。
 このL2型はVT型の普及型として翌1957年3月の発売。50ミリF1.8付で82,000円と高価だったVTからセルフタイマーと1/1000秒シャッターとフラッシュシンクロ回路のX接点を省きFP球フラッシュバルブ専用とし(←それはさすがにやりすぎ!ストロボ使えない.....)、巻上げを一般的なトップレバー式にした普及機種です。
 ちなみにこちらL2のお値段は50ミリF1.8付で67,000円。いくぶん安いとは言え昭和32年当時の大卒初任給7,000円というご時世から考えればとんでもない高級品でした。
 ちなみにこの時代に高校生だったウチの親父殿は修学旅行にキヤノンIVSbを持ってきた同級生を見て「ぶん殴りたくなった」そうです(当時の父はサモカ35を持っていたそうです)。
 その後のキヤノンの新型機攻勢はすさまじく、1957年5月にはもうはやVTのマイナーチェンジモデルVTデラックスとL2に1/1000秒シャッターとX接点を追加したL1が発売。11月にはL2からフラッシュシンクロ回路まで省いたL3、1958年3月にはVTデラックスをトップレバー式に変更した高級機VL、L2にX接点を追加したVL2を矢継ぎ早に市場に投入。
 現代のデジカメに匹敵する乱売ぶりで、ライカM3ショックでパニックになったキヤノンの狼狽ぶりがうかがわれます。
 ちなみに1957年発売のキヤノンL1はカメラでは初の通産省グッドデザイン(Gマーク)に選ばれた機種であるというトリビアも書いておいて損はないでしょう。
 時期的に1956〜1957年ごろは「なべ底景気」と呼ばれた不景気の時期であり、キヤノンにとって苦しい時代でした。
 倍率可変ファインダーや漆塗りのボディなど元々高級機だったVTがベースではコストダウンにも限度があると判断したキヤノンは1959年にはファインダー設計を一から普及機種向けに設計したキヤノンPを発売。1961年にはキヤノン初のレンズ非交換式のレンズシャッターEE(自動露出)カメラ「キヤノネット」(↓下)を発売します。
↑キヤノネット(1961年発売)

 今まで高級機一辺倒だったキヤノンが大衆機も手がけるようになり、会社の経営を立て直すことになります。
 一方の高級機のVTデラックス及びVLも外観はモダンになっても中身は「バルナックライカにカンフル剤を打っての登場」で旧式の2軸回転式シャッターダイヤルやブライトフレームもパララックス補正も無い逆ガリレオ式ファインダーで連動露出計も装着できず、フィルムカウンターも手動復元のままで、ライカM3に比べると、やはり見劣りするというのが正直な所でした。
 ライカM3と対等な1軸不回転シャッターダイヤル、パララックス補正ブライトフレーム、自動復元のフィルムカウンター、外付け式連動露出計は1958年発売のVIT型・VIL型でようやく実現する事になります。
 その後、キヤノンAE-1(1976年)、キヤノンAF35Mオートボーイ(1979年)、キヤノンEOSkiss(1993年)と社会現象にまでなった普及機で着実にシェアを伸ばしてきたキヤノンにも普及機で試行錯誤していた時代がありました。


分類:35ミリ距離計連動式フォーカルプレーンシャッターカメラ
シャッター:2軸ダイヤル回転式横走り布幕フォーカルプレーンシャッター
B、1−1/500秒(FPシンクロ全速/Xシンクロ未対応)
ファインダー:逆ガリレオ式2重像合致式連動距離計
ファインダー倍率:倍率可変(35ミリ時0.4倍、50ミリ時0.72、マグニファイヤ時1.4倍の3段切り替え)
発売年:1957年

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