ハンザキヤノン
上述の「カンノンカメラ」の試作を経て、ついにキヤノンの前身「精機光学研究所」が念願の国産初の35ミリカメラを発売にこぎつけたのが1935年暮れから1936年2月の事。何しろカメラを発売するのは初めてなので自社の販売ルートが無く、暗室用品で有名な近江屋商会(ハンザ)に販売を委託。レンズは日本光学(現ニコン)のニッコールレンズの供給を受け、「ハンザキヤノン」と命名されます。カンノンカメラの発案者である吉田五郎氏が使途不明金横領の濡れ衣を着せられて(国産カメラ開発物語/小倉磐夫著/朝日選書684/2001年刊より)退職後は吉田が登録商標の権利を持っていた「カンノン(Kwanon)」から「基準・聖典」の意味を持つ「キヤノン」とカメラ名を変更。270円で売り出します。ここがまた新たな苦難のはじまりでした。なお、精機光学研究所があった竹皮屋ビルは当時六本木62番地にあり現在は「ホテルアイビス」が建っています。
カンノンからハンザキヤノンへの主な設計変更点は特徴的だったボディ前面部にあったフィルム巻上げノブが普通に上に移動し、フィルムカウンターだけが残った事。またファインダーがいわゆる「びっくり箱」と呼ばれるポップアップ式になった事。これは左右の距離計の中央にビューファインダーを配する設計がライカの特許と抵触する事がわかったからです。コンタックスIやレオタックススペシャルもこの特許に途中で気づいて、距離計の有効基線長が短くなるのは百も承知で距離計の外側にビューファインダーを移しています。
試作機のカンノン(レプリカ)と製品版のハンザキヤノン 軍艦部のデザインやフィルムカウンターに面影が残 っている。 |
大きな変化はビューファインダーが上に移った事と レンズマウントがねじ式からバヨネット式になった事。 |
コンタックスに基を取ったと思われるボディ側にヘリ コイドを固定したバヨネットマウント。このボタンを 押すとレンズが外れる。 |
そして最大の特徴が、レオタックスやニッポンカメラ(後のニッカ)がライカ互換マウントを採用したのに対し、キヤノンはコンタックスに基を取った専用バヨネットマウントを採用したこと。でもこのヘリコイドは50ミリレンズ専用で他の焦点距離のレンズでは距離計が連動しないと言うちょっと困ったつくりになってしまいました。当時のコンタックスのように「外爪」が無いので50ミリ以外は装着できないのです。何でこんな変な設計にしたのか良くわかりません(笑)この理由は朝日ソノラマのカメラレビュークラシックカメラ専科7「キヤノン/ニコン編(1986年刊)にて実際にハンザキヤノンのレンズマウントとへりコイドを設計したニコンの山中栄一氏が答えていまして「当時の感覚として、レンズ一個それぞれにへりコイドを付けるのは無駄だと考えられており、しかも50ミリの標準レンズ以外は日本光学にもまったく無かった」「交換レンズの事はまったく考えていなかった」とあります。勿論「びっくり箱」と同様距離計の連動方式でも「ライカの特許逃れ」も理由にあったとあります。なのでレンズ交換式なのにレンズはニッコールの50ミリF4.5、同50ミリF3.5、同50ミリF2.8、同50ミリF2の4種類しか選べないという変な事になっています。これは戦後にキヤノンSIIが発売されるまでキヤノンのネックとなりました。ユーザー側もいつまでも交換レンズが発売されない事に業を煮やしたのか街のカメラ屋さんでライカスクリューマウントに改造されたキヤノンがたまに見つかり「試作機のカンノンカメラか?」と騒がれたりしています。
特徴的なポップアップ式ファインダー(びっくり箱) の特許(カメラレビュークラシックカメラ選科No31。 「キヤノンハンドブック」より。 |
レンズを外したところ。レンズを外せても交換レンズ が無いのでどうしようもない(試作はしていた)。 |
標準レンズのニッコール5センチF3.5を外した ところ。 |