ヘキサノン50ミリF1.8
(コニカIIIA)

最初に断っておきますがこのレンズは交換レンズではありません。1958年に発売された35ミリレンズシャッターカメラ「コニカIIIA」に固定装着されたレンズです。それをなぜ当コンテンツにて紹介するかといえば、このレンズ、1960年から‘61年にかけて試作された幻のライカマウントレンジファインダーカメラ試作機「コニカFR」の標準レンズに選ばれたレンズだからです。設計は風巻友一。
コニカFRは当時発明されたばかりのコパルスクエアーシャッターを搭載したコニカヘキサーRFの直系のご先祖様と言えるカメラです。

↑新宿コニカプラザに展示されていたコニカFR
1996年撮影。現在は公開されていません。
左の機体に装着されているのがヘキサノン50ミリF1.8
↑コニカFRとライカM3の比較
カメラレビュークラシックカメラ専科58
「ライカブック’01」より

当時小西六(現コニカミノルタ)ではフォーカルプレーンシャッターのレンジファインダーと一眼レフは競合するものではなく共存すべきだと考えていたようで、このコニカFRと同時に開発された一眼レフがコニカFS(1960年発売)です。同じコパルスクエアI型を採用していました。
しかし、当時のコパルスクエアは非常に大きく、カメラレビューの掲載写真を見てもお分かりのようにライカM3と比較しても随分大柄なカメラになってしまいました。一眼レフには許されても軽快さを要求されるレンジファインダーカメラには実用性を損なうと判断されたらしく未発売に終わってしまいました。
一方のコニカIIIAは世界初の、ライカですら真似しなかった画角補正ファインダーを採用し「生きているファインダー」と絶賛された伝説の名機です。一眼レフカメラで近接撮影をすればお気づきのように単焦点レンズといえども撮影距離が近くなるにしたがって画角が狭くなります。これは近距離になるとレンズを繰り出した分フィルムからの距離が遠くなるからです。コニカIIIAでは採光式ブライトフレームのマスクを左上と右下の2枚に分離して左上のみを動かすことで近距離になるほどブライトフレームが狭くなるという凝った設計をしています。これは初代コニカヘキサー(1992年)にまで受け継がれたコニカの伝統となりました。上述の試作機FRにもこの生きているファインダーが採用されていたそうです。
現行のコニカヘキサーRFにはこの画角補正は残念ながら採用されませんでした。これはレンズ交換に対応してフレームマスクを3枚も内蔵していて構造が複雑になるからでしょう。

作例)コニカIIIA、ヘキサノン50ミリF1.8、F6.5、1/500秒
コニカクロームSINBI100
画質は、カラーバランスが現代のDPEシステムに適合していないせいか、ミニラボの自動プリンターでは黄色に偏ったり青っぽくなったり正しい色が出ないです。これはやっぱりモノクロ専用にした方がよろしい。今回は出来るだけレンズ本来の発色特性を見るためにリバーサルフィルムを使用しました。リバーサルフィルムでの撮影では全体的にシアンとマゼンダの傾向が強いようで、イエロー成分を漂白剤で落としたかのような発色です。コントラストもかなり低い。同じ日に同じ条件でズミクロンで撮影した作例と比べると一目瞭然です。ピントは動かない被写体ならば開放から良好。なぜ「動かない被写体」かと言うと、当方の所有する個体だけかもしれませんがレンズシャッターの開口効率(≒シャッターの羽根速)が同程度の明るさのレンズを持つミノルタハイマチック7やヤシカエレクトロ35等と比べても悪く1/500秒でもタンチョウがブレてしまうからです。
 風巻氏は「俺はこんなに優秀なのに会社はちっとも俺を評価してくれない。セレナー50ミリF1.8を設計したキヤノンの伊藤宏はあんなに評価されているのに」と憤慨してこのレンズを設計した直後にコニカを退職し、旭光学(現ペンタックス)に移籍します。
カメラ専業メーカーと総合画像メーカーの差というか、企業としてレンズ開発にどこまで重みを置くかの違いでしょう。

(←構成図)5群6枚
変形ガウスタイプ
(注)構成図が見つから
なかったため、設計が
近いとされるヘキサノン50
ミリF1.9の構成を掲載。
画角:45度
最小絞りF22
最短撮影距離1m
フィルター:42mm
重さ:ーーー
発売:1958年


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