キヤノン7

分類:35ミリ距離計内蔵式フォーカルプレーンシャッターカメラ
シャッター:1軸ダイヤル不回転式横走りステンレス幕フォーカルプレーン
B、1−1/1000秒(Xシンクロ1/60秒以下)
ファインダー:採光式ブライトフレーム付き2重像合致式連動距離計
フレームは35ミリ、50ミリ、85ミリと100ミリ、135ミリの4段階5種類切り替え
セレン光電池式露出計内蔵(ライトバリュー6−13/12−19段切り替え)
発売年:1961年
戻るにょ!

 キヤノンVIの後続機種として1961年に発売されました。前年のフォトキナに発表されていた50ミリF0.95とともに大変な話題になったカメラです。VI型では外付けだった露出計がついに内蔵されました。ただ、ファインダーはキヤノン伝統だった倍率可変光学系が省かれてファインダー倍率は0.8倍に固定されています。変倍機能がなくなったせいで望遠の測距精度が不足するという問題が出まして、その点は「アサヒカメラ」1962年1月号の「診断室」でも指摘されています。それについてキヤノン側では「有効基線長を大きくとったキヤノンVI型のような重装備カメラの有用性を疑うものではけっしてありませんが、使いやすさという面からの制約もまた見逃すわけにはまいらないのであります。」とコメントしております。それは正解でしょう。
 変倍機能付きのVI型はそれ単体では35ミリ、50ミリ、100ミリにしか対応しないのに対して7型は35ミリ、50ミリ、85ミリ、100ミリ、135ミリのすべてのブライトフレームを備え、しかも独立して現れる切り替えダイヤル式(フォクトレンダーベッサーRと同様)なので不要なフレームが見えるわずらわしさも無い。それに何と言ってもファインダー像が明るくフレームもクッキリ見えてだんぜん使いやすくなりました。すでにキヤノンフレックスが発売されていた時代ゆえ「望遠は一眼レフを使え」という暗黙の了解事項があったのでしょう。

 このカメラが発売された頃はまだ私は影も形も無い(というか両親もまだ結婚していない)ので本で読んだ知識しかありませんが、当方の親父殿は強烈な印象があって「欲しくて欲しくてたまらなかった。」と言います。
 「何で買わなかったの?」と聞くと「高くて買えるかよ。それに当時はカール・ツァイスもコンタックスを辞めちゃって”レンジファインダーはもう終わりだ”と新聞社の同僚(当時、父は北海タイムス社の写真部に在籍してました。)がみんな言っていたから怖くて買えなかったんだ。」との事。
 で、実際に父が購入したのはミノルタSR−T101でしたが、こちらは今では中古市場で二束三文なのに対してコチラは典型的なコレクターズアイテムとなっています。
 どうせ父は50ミリレンズしか使わなかったのだから無理してでも買っておけば良かったのに....
 気が付けばいつの間にか父の青春時代の怨念が息子の私に乗り移っていたようです(笑)。

 父が回想した通り、キヤノンがこのカメラを発売した年に旧西独カール・ツァイスはレンジファインダーコンタックス(IIa、IIIa)を生産停止します。国内ライバルだったニコンもすでにSシリーズに見切りをつけておりあくまでもレンジファインダーにこだわりつづけたキヤノンは一眼レフ市場での評価が今ひとつで1971年のキヤノンF1発売までの10年間、高級一眼レフ不在の日々が続きます。
 キヤノンは1966年には露出計をセレン光電池から硫化カドミウムに変更したキヤノン7Sを発売。国産唯一のレンズ交換式レンジファインダーとして重宝されましたがすでに時遅く(いや、逆に早すぎたのかも?)1971年にはキヤノンはレンジファインダーシステム一式からの完全撤退を発表。ハンザキヤノンから続いた40年のレンジファインダーの歴史に幕を閉じたのです(*宮崎洋二氏の説ではすでに3年前の1968年にキヤノン7Sの製造ラインは止まっておりその後は在庫出荷のみだったようです。事実一眼レフのキヤノンA1の時代になってもFDレンズのカタログにしばらくは距離計カメラ用交換レンズのラインナップが載っていました)。