第1話:単玉と複玉

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ーメニスカスからダブレットへー

 当サイトでミノックスレンジファインダーカメラ用レンズの解説及びレンズ構成図の掲載をするにあたり「テッサー」「ゾナー」「ガウス」等など写真レンズのタイプ名が連発します。しかし、現実にこれらの分類を理解している人は実際に写真産業に関わっている人でもごく少数ではないでしょうか。
 当サイト開設1周年記念企画として、写真レンズの構成図解説をはじめました。

 写真レンズとはそもそも何ぞや?。写真レンズとは感光材料(銀板、湿板、乾板、フィルム、結像素子)に適切な画像を投影するための光学系です。そもそも、カメラの最初の原理であるピンホール(針穴写真)にはレンズはありませんでした。極論を言えば写真はただ暗箱に穴を明けるだけでも撮れるのです。でもそれではあまりに結像が暗くて露光に何分もかかるし、画像も不鮮明なのでレンズが使われるのです。
 写真の歴史は150年。つまり写真レンズの歴史も150年ですが、写真用でないというだけでレンズ自体の歴史は相当に古いです。ガリレオやケプラーが望遠鏡を発明したのは17世紀のことだし、絵画用カメラオブスキュラ用のレンズにいたっては16世紀にまでさかのぼります。

 感光材料が発明される以前からカメラは存在しました。カメラオブスキュラ(暗い部屋)と呼ばれる写生用具です。原理的にはまさしく現代の一眼レフカメラそのものですが、感光材料がないためフォーカシングスクリーンに相当するスリガラスに直接油絵の具を塗りつけて絵を描いていました。奇妙な話ですが手書き写真です。当初はこれはただピンホールが開いているだけでしたが、1558年にイタリアのG.B.ポルタ(駐1:小倉)がピンホールの前に両凸のレンズをあてることで結像が明るく、はっきり見えることを発明し、以後のカメラオブスキュラはレンズ付きが当然になります。もっともスネルの屈折の原理(オランダ/1620年ごろ)が発見される以前の当時はまだ収差という概念もありませんでしたが。
 1812年にイギリスのW.H.ウォラストンは両面が凸ではなく片側が凸、もう片側が凹の「メニスカス」にすれば周辺部の映像がより鮮明になることを発明します(駐2:キンズレーク)。これは現在「レンズ付きフィルム」のレンズとしておなじみですね。ただし、ウオラストンのレンズは絞り板をレンズの前に置いて凹面を前に向けていますが、現在の「レンズ付きフィルム」はレンズの凸面を前に向けて絞り板をレンズの後ろに配しています。メニスカスの凸面を前に、絞りを後ろに置く配置はキングズレーク(駐2)によるとコダックが1934年ごろに実用化したのが最初だそうです。
 実はまったく同じメニスカスレンズであっても絞りを前に置くとフィルムからの距離(これをバックフォーカスといいます)が長くなりますが、レンズを前に、絞りを後ろに置くとフィルムからレンズまでの距離も短くなります。結果的にカメラボディが薄くなります。またレンズが前にあると絞りにゴミが入らなくなるしレンズの汚れもふき取りやすいというメリットがあります。逆に結像面が周辺部にいくにつれ前側に湾曲していく(像面湾曲とよばれるザイデルの5収差の一つにあげられる悪役)ため周辺部の画像が流れる欠点が発生しますがこれはフィルムをカーリングさせることでうまく解決しています。
 このレンズ構成を「シングルメニスカス」あるいはただ「メニスカス」と呼びますが一般には「単玉」(たんぎょく)で通ります。

 1839年にフランスのL.ダゲールが有名な銀板写真「ダゲレオタイプ」を発明したときに装着されていたレンズがシャルル.シュバリエの設計したランドスケープレンズです。画期的なのはすでにこの時点で色収差の補正のために2枚張り合わせの「色消しレンズ」が採用されていたことです。これは低屈折、低分散ガラス(クラウンガラス)を使った凸レンズと高屈折、高分散ガラス(フリントガラス)を使った凹レンズを張り合わせると低波長の赤色光と高波長の青色光が重なり色収差が消えるという原理です。(駐1小倉)
 これは現在ダブルメニスカス、または略してダブレット(色消し単玉)と呼びます。低価格の超望遠レンズによく適用されてきました。身近な例では「レンズ付きフィルム」の超広角パノラマタイプもダブルメニスカスです。

 シュバリエのランドスケープレンズは球面収差を補正していないために明るさがF17しかなく日中の屋外でも30分もの長時間露光が必要でした。これでポートレイト写真を撮るのはかなりの苦行です。
 ダゲールの銀板写真発明のすぐ翌年にオーストリア政府はシュバリエのレンズよりも明るいレンズを作ったものに賞金を出すと発表します。それに答えたのがウイーン大学の数学教授ヨーゼフ.マックス.ペッツバールでした。彼はオーストリア陸軍の砲兵隊から計算の得意な者8名を雇い、ガラスの屈折率やガラスの厚み、曲率から通過する光線を計算でもとめてより収差の少ない組み合わせを選ぶという今日の「光路追跡計算」を最初に行います。結果ペッツバールはダブルメニスカスを絞り板をはさんで前後に配するというペッツバールポートレイトレンズ149ミリF3.7を設計しフォクトレンダーの金属製カメラに搭載されて発売されました。
 この時代にF3.7という明るさのレンズは驚異的で、その後半世紀ものあいだこのレンズを超える明るさのレンズは出現しませんでした。
 このペッツバールタイプは画角が狭くて風景撮影には向いていませんが明るく出来るため近年まで映写機用レンズに適用されています。
 ドイツのカール・ツァイスのパウル・ルドルフが設計した「プロター」(1890年)もペッツバールの発展型と言えます。

(図1)カメラオブスキュラで写生する
画家。(資料:ペンタックスギャラリー)
(図2)ウオラストンのペリスコープ
    レンズ(シングルメニスカス)

(↑図1)           (↑図2)

(↑図3)            (↑図4)

(図3)ジルー・ダゲレオタイプ
カメラ(フランス/1839年)
日本カメラ博物館蔵
(図4)シュバリエのランドスケー
プレンズ(ダブルメニスカス)

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2002/08/25
2002/09/15改定

(図10)プロターf9
(図9)ペッツバール肖像画
レンズ149ミリf3.7
(ペッツバールタイプ)
(図8)フォクトレンダー
ダゲレオタイプカメラ
(日本カメラ博物館蔵)
(図7)ダブレット構成の色消しレンズの原理
(写真レンズの基礎と発展/小倉敏布著/朝日ソノラマ)

(図5)ベストポケットコダック          (図6)フジ写ルンですスーパースリム
(1912年)初期の単玉は絞りを前       現在の使いきりカメラはレンズの凸面が
に配しているのでレンズが見えない。     前を向いている。
(駐3、アサヒカメラ’93年7月増刊号引用)

資料)
駐1、写真レンズの基礎と発展(小倉敏布著/朝日ソノラマ刊)
駐2、写真レンズの歴史(ルドルフ・キングズレーク著/朝日ソノラマ刊)
駐3、アサヒカメラ’93年7月増刊号(朝日新聞社)