ACT−8 各国のスパイカメラ事情

ラトビアで発明されたミノックスはその優れた撮影能力、特に書類の複写能力に長けていたため格好のスパイカメラとして各国の諜報機関に引っ張りだこになりました。
 最短撮影距離20cmまで寄れてしかもパララックスも自動補正されるので、ミノックスにミニコピーフィルムを装填して書類を複写すれば特別な撮影機材なしに簡単にマイクロフィルムが作れるのです。実際にミノックスを使って重要書類をマイクロフィルム化して外国に情報を売り渡していたスパイ事件は何例も知られています。
 しかし、第2次世界大戦が勃発するとミノックスはラトビアの統治国ドイツの独占状態になり、1942年には生産停止になります。このためミノックスの入手が困難になった各国ではミノックスの代替になる超小型カメラの研究開発が行われました。

アメリカ

 合衆国では1940年のミノックス輸入当初、定価79ドルだったが、戦争がはじまると価格が3倍に高騰しました。CIAの前身OSSはイーストマンコダック社に依頼して「コダックマッチボックス」を開発させました。生産台数は前期、後期合わせて2.000台。

フランス

 ミノックスの品不足で、代替品として1939年Espionageを開発している。これが戦後民生品として16ミリサイズのSFOMAXになったとされる。
 そういえばPENTAXの35ミリカメラでESPIOシリーズがあったとお気づきの方、鋭いですね。
ESPIONとはフランス語で「探偵」の意味です。レンズは12.5ミリF2.5。サイズは(27X35X73)。

ソビエト

 昔から諜報活動に熱心なお国柄、宿敵アメリカ合衆国との熾烈な諜報戦争に勝ち抜くために彼の国にはスパイカメラがたくさんありました。が、モノがモノだけにメーカーやスペックには謎が多いです。現在コレクターにその存在が確認されているものをいくつか紹介します。

←キーバッグ型カメラ
自動車のキーバッグを模して作られた
KGB用スパイカメラ。サイズは日本の
ACMEL−Mと同じくらい(16X21X57)
焦点距離8mmF3.5の超広角レンズを
装着。フィルムサイズはミノックスと同様だ
がフィルムマガジンは特殊規格。

←KGB Panoram
とても珍しいパノラマ画面のミノックス判
スパイカメラ。でもスパイカメラがパノラマ
である必然性がよくわかりません。
 軍港のような広い場所の撮影に使わ
れたのでしょうか?。
 レンスは9mmF2.3。サイズは
(15X20X59)。

←KGB TOTSCHKA
ボタンの穴からレンズだけ出して空気
バルブでシャッターを切る本格的なス
パイカメラ。フィルムはミノックスと同じ
8X11ミリですがフィルムマガジンは
特殊規格です。サイズは(16X23X93)
 レンズは7.5ミリの超広角。
シャッターは1/10、1/50、1/150、1/400
の4速。1980年ごろの開発。

日本

←鈴木光学 エコーエイト
日本人で最初にミノックスを入手したの
はラトビア駐在の外交官でした。陸軍
登戸研究所ではドイツ経由で入手した
ミノックスをもとに模造品をつくる研究を
行ったがボディ外装の深絞りプレス
加工が真似できずに断念する。
 かわりに構造をかなり簡略化して
ジッポー型ライターカメラを開発しました。
スペックはフィルムは8ミリサイズで6X6
。レンズは15ミリF3.5。シャッターはBとI(インスタント)の2速。
 詳しい資料が無く写真もみつかりませ
んでしたが話だけ聞くと、戦後鈴木光学
から発売され、映画「ローマの休日」に
登場したエコーエイトと共通する項目が
多いです。もしかしたら戦後民間に設計
が売却され民生用に発売されたのかも
しれません。

←KGB超小型カメラF21
 こちらは21ミリフィルム(18X24)
を使用するカメラ。ボディ上にあるノブ
がゼンマイの巻き上げノブです。
 1951年ごろの開発。
 レンズは28ミリF2、固定焦点
シャッターはB、1/10、1/30、1/100秒
の3速。同じスペックで1995年民生用
にもゼニットMF−1として発売されています。

資料)MINOX8X11のすべて(斎藤正治著/日本ミノックスクラブ)
    ミノックスクラブニュース
    月刊グッズプレス’93年
    カメラレビュークラシックカメラ専科40コーワのすべて、ロシアカメラ(朝日ソノラマ刊)

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