→作例
ライカIIIa、F6.3、
1/1000秒
ネオパンプレスト400
←構成図(4群6枚)
ガウスタイプ
画角:45度
最小絞りF12.5
最短:1m
フィルター:A36
重さ:180g
発売:1933年

ズマール5センチF2

 ライカの戦前の代表的大口径レンズ。当時のライバルだったコンタックスのゾナー50ミリF2に対抗すべく1933年にライカIIIと同時発売されたレンズです。
 カールツァイスが3群ゾナー構成という独自の構成を採ったのに対してライツはオーソドックスな4群ガウス型を選びました。ガウス型の見本のような構成です。
 基本的に現代のレンズ設計の常識から言えばレンズ張り合わせ面が多くてレンズの曲率が極端に制限され、また対称性がないゾナーよりもレンズの曲率が自由に選べて前後対称性の高いガウスの方が収差補正の自由度が高く、それは今日の50ミリ標準レンズのほとんどがガウス型を採用していることが証明しているのですが、コーティングの無かった時代には張り合わせ面が2面しかなく空気との境界面が多いガウスは内面反射が多く、本来の特徴を生かしきれていなかったようです。当時のカメラ雑誌上での評価は散々で「ゾナーは開放から使えるのにズマールは開放では像を結ばない」「ボケ玉」と悪評ばかりでした。また、前玉が軟らかく傷がつきやすかったこともあり、中古市場では捨て値で叩き売りでした。
 アルス刊「カメラとレンズ」(佐和九郎著/1954年)に興味深い記述があります。以下、「ズマール1:2、50ミリレンズは、外側の第1レンズに、硬度のやわらかいレンズを使っていた。レンズ光学技術の憲法として、外側の第1レンズはキズがつきやすいから、硬質のガラスを使う事になっている。にもかかわらず、軟質のガラスを使うのはレンズ設計のはなはだ拙いためで、レンズ設計者、レンズメーカーが、恥ずかしいことをしたのである。著者の訪問に対し、ズマールの設計者ベレークも正直に恥じていた返答があった。」設計者自らが失敗作と認めるほどだからやっぱり失敗作なのでしょう。それがわかっていながら以後12年間も製造されていたのは、戦中戦後の混乱期のため「わかっていてもレンズを新設計する余裕が無かったから」です。ズマールを改良したズミタールが1939年に発売されているはずですが、なぜかこのズマールも1950年まで製造されていたのはズミタールに比べてレンズ構成枚数が少なくてコストが低くすんだからでしょうか。
 でも、近年では、キズだらけの前玉を再研磨し、コーティングをほどこすとズミクロンもかくやと言わんばかりの超高画質レンズとなる事がわかり再評価されるようになりました。
 筆者のズマールは見ての通りノンコーティングですが発色は悪くありません。たしかに開放ではもわっと軽くハロが出ますが一目で「甘いな」というほどではなくちゃんと結像します。「これだけ写るレンズなのになぜ発売当時あんなにいじめられたんだろう?」というのが私の感想。

もどる